清酒 葵鶴 醸造元
稲見酒造株式会社

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  秀吉ー三木ー有馬の湯
     
三木城の別所氏と羽柴秀吉
こころ和む湯の山街道
     
     
   三木城の別所氏と羽柴秀吉  
 
 
   赤松円心の流れをくむ別所氏は、三木城を拠点に東播磨8郡24万石を支配していた。
天下布武をめざす織田信長は羽柴秀吉に命じて中国に覇をとなえる毛利氏を討つべく西進させたところ、別所氏の抵抗に受け戦端を開いた。時に天正6年(1578年)3月であった。
秀吉は東播磨の各地の至城を攻略しながら三木城を包囲し、外部との交通を遮断して城内の兵糧が尽きるのを気長に待つ戦略をとった。いわゆる兵糧攻めである。
天正8年1月、城主別所長治一族の自害により、1年10ヶ月にわたる攻防の幕が降りた。
 
   秀吉は毛利氏討伐の拠点として三木城に入り、城郭の修復や免税の制札による住民の帰順を図り、三木の城下町は旧にも倍して目覚しい復興をとげた。
東播磨を平定した秀吉はのちに姫路に転じ、以後、羽柴秀長や杉原家次などが城代をつとめた。
徳川時代になり元和3年(1617年)、幕府の命により城主小笠原忠真が三木城を解体して明石に移した。ここに三木城はついに城跡となったのである。
 
     
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   こころ和む湯の山街道  
 
 
   その昔、羽柴秀吉が三木城攻めをした折、三木から湯の山(有馬温泉)まで何回も通行した街道。
それ以来、「湯の山街道」と呼ばれ、徳川時代も参勤交代や西国からの湯治客が往来した。
この街道筋は旧三木城跡の北側を迂回するように、西から滑原町→平山町→芝町→大塚町 と続いている。
 
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  三木の古い町屋 (絵は石田安夫氏)  
     
     

   
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